Bar Zirconia

Livly Layout Laboratory

 光に導かれ、いつかきみに会いにいく。あの日の約束を果たすために、一番正しい道を探している。意味なきものの永遠、終曲なき永劫回帰。愚かなものと無垢なものとが、いつかまたともに活きるために。

 無機物が有機的に群生する、荒涼というにはあまりにも明るい大地である。明るいのは一面の砂地が上空からの光に乱反射するからで、振り仰げば桃色の天上に相似の月が一対、ふんわりと浮かんでいた。その健気な光のおかげでそこかしこが微かな薄桃に染め上げられ、世界はうっすらと発光している。
 見渡す限り生あるものは見当たらず、染み渡る静けさのなか、絶えずさりさりと衣擦れのような音だけが耳についた。誰ぞそばに近づくものがあるかと見渡しても、ただ寂寞を粛々と風がゆくのみ。つまりこれは風の音、否、風に吹き寄せられて大地を滑る砂の音。砂は地平のかなたまでさざなみの如く揺らぎ、無数に隆起して丘を築き、流れ落ちて波紋を描くのであった。

 ― ぼくはなぜこんなところに居るのかしら

 記憶は全く曖昧であった。今はじめて見る場所なのに、随分永いこと此処にいたような気がする、これはデジャヴュ。それなのに、たったいま辿り着いたばかりみたいな気もする、これはジャメヴュ。未知と既知がぶつかり合い、その摩擦で生じた砂礫が心の中に降り積もる。

 - 此処にいる限り、きっとぼくはずっと曖昧なままだ

 シャリンしゃらしゃらと、宇宙のかなたで星々がはじける様を想起させる、涼やかな音が聞こえた。見れば遥か上空から、絶えず砂の降る場所が幾つかある。時折、ひときわ清涼な音とともに光る砂が落ちた。砂の落ちる足元には他よりも立派な砂丘が仕上がっている、その中でもっとも近くにあるひとつを見据え、現状打破の活路を求めてぼくは歩きはじめた。

 目的を定めて歩みを進めれば、景色は意外なほど表情豊かであった。砂が造る模様は水のように自由で、ときどき砂の陰から奇怪な錐体の造形物が顔を出す、はるか先には不自然なほどに丸い完璧な球体も見えた。そのどれもが銀よりも清浄な白に透きとおり、空や大地の桃色を余さず受け止めて風景に溶け込んでいた。忘れられた時代の遺物と、まだ見ぬ未来の発明が、どちらも砂上に屹立し、或いは埋もれ、平和的共存の様相を呈している。未来が終わる場所のようであり、過去が始まる場所のようでもあった。
 淡い紫や橙色の植物がそこかしこに咲いており、風にふるるとゆれるそれは触れれば柔らかそうな気がする。思わず立ち止まり手を伸ばす。

「めずらしいね、わたし以外の生き物」

 そのとき背後より、思慮深げな声を聞いた。驚いて振り返るが声の主は見当たらず、砂のほかには岩と植物が点在するばかりだが、少し離れたところで半分ほど砂に埋まった色合いの美しい岩が目をひいた。岩陰に誰か居るのかと覗いてみるがやはりなにも見当たらない、訝しんだそのとき、岩そのものがごそごそと身動きをして四肢を伸ばす、砂を振るい落としながら立ち上がったそれは続けてずいと首をもたげる、岩の正体は大柄の亀であった。

 ― おどろいた、あなたはだぁれ
「だれでもないよ、ただ此処が好きで居るだけ、きみは?」
 ― ぼくは・・・

 言葉を忘れて思わず見入るほどに美しい亀だ。琺瑯に似た質感の甲羅は淡いのに深い緑青で、亀甲模様は色とりどりの螺鈿のように複雑だ。宝玉じみたその甲羅には、砂の大地に生えているのと同じ桃色の苔や草が幾層にも茂り、その中心にすぅと背の高い花が咲いている。不思議と心惹かれるものがあり、その花をじぃと見つめていると、亀は視線に気がついたように甲羅を揺らした。

「気になるかい?これは無限花」
 ― 無限花?
「何処にいくの」
 ― わからない、でもあそこに見える砂丘に向かっていたの
「なるほど、あそこのてっぺんには、わたしの背に咲くよりおおきな無限花があるよ」
 ― 無限ってどういうこと
「いつまでも夢が見られるということだよ」
 ― おわりがないということ?
「どうだろう、ひとそれぞれだけれど、おわりもはじまりも含めてどんな可能性だってあるということかな」
 ― 可能性
「そう、無限花の光は、限られてしまった可能性をふたたび限りないものにしてくれる」
 ― それならぼくは、その花のそばに行かなくちゃ

 ”行かなくちゃ” 何気なく口にしたその言葉が確かな実感を伴って胸の奥に凝った。そうか、ぼくはいま、確かに誰かに呼ばれている。何かとても大きな声、とても大きな手、ひかりの素足、まるでかみさまみたいな素晴らしい御業でぼくたちにいのちをくれたひとのところへ戻らなくちゃならないのだ。そうだ、どうしてこんな大切なことを忘れていられたんだろう!あの日、あなたは眠りなさいといった、いつか必ず会えるから。ぼくは、ぼくたちは、その言葉を信じて、懐かしい羊水、その代わりである培養液に身を沈め、母なる子宮、その代わりであるフラスコに閉じこもり、大好きな太陽も花も虫も我慢して、永く久しい夢を見ることに決めたのだ・・・
 此処が何処か解った、向かうべき場所も解った、亀はこの世のすべてを知っている創造主の目でぼくを見ていた。その眼差しは、いつかぼくが生まれた日にフラスコの中から見たあのひとにどこか似ていた。

 ― ぼく、ずっと永いことねむっていたんだけれど、また生まれてもいいかな?
「さあて、どうだろ」

 亀はそっと目を閉じて鼻先をあげる、まるで古の数学者が難解なトポロジーを前に思考を巡らせるような、そんな顔つきをする。

「きみの中の時の砂は、もう満ちたって言える?」
 ― いえる
「砂時計をひっくり返す、その準備はできたって言える?」
 ― いえる
「此処から出てあたらしく生まれるきみは、きっともう昔のきみじゃなくても」
 - それでも
「そうか、ならばきっときみは生まれるべきだ」

 天上から祝福のように砂が降る、亀は満足げに首を振り、背中の花がつられて揺れた。見れば目的の砂丘はすぐ其処に在った、成すべきことが見えたので砂丘のほうから近づいてきた様子であった。

 - ありがとう、あなたはこのあとどうするの?
「わたしは、そうだな、あとマイナス1年くらいは眠るとしようかな」
 ― マイナス、1年?
「うん、ひょっとするとうっかりもう少し長く・・・そう、20年くらい遡っちゃうかもしれない・・・」

 わたしはいつだって思うよりずっと寝過ごしちゃうんだ。そんなことを呟きながら、亀はもぞもぞと甲羅に手足を仕舞いはじめた。此処ではあらゆるものの限りがなくて、時さえ可逆であるようだ。

 遥か遠くから見た折には巨大な山のように感ぜられた砂の丘は、近づけは近づくほど不思議に小さくなるようで、ついに目の前にした今は、もはやぼくの身の丈ほどにすくんでいた。優しくなだらかにせりあがった頂上には、誰が置いたものか酒器の形をした水盆が据えられ、知恵者の亀の背にあったものを草と呼ぶなら、こちらはさながら木のように見事な無限花が生けられている。盆の中をのぞき込めば、蜂蜜酒のような美しい水がひたりと花の茎を潤していた。
 刹那、頭上から落ちてきた一滴の水が、其の中にぽつんと水冠を穿った。跳ね上げられた雫は水面を打ってるるると広がり、波紋はゆらゆらと時間をかけて落ち着きを取り戻してゆく。砂丘群のそこかしこで相変わらずさりさりと降りしきる砂に代わり、どうもこの盆の上にはいつしか水が滴るようで、これが時間をかけて蜂蜜色に湛えられたのであろう。
 此れは一体なんだろう、とても強い、超自然的なエネルギーを持った水だ。造られた生き物なりの本能で、”あと少し” を予感する。何かは判然としないものの、確実に近づくものがあった。あと少し、そう、とても近いところまで来ている、あとほんの三、二・・・いや、もうほんの一雫で、時が、今、満ちる!

 ぽ つん

 その一滴が跳ねた瞬間、機は熟したと云わんばかりに無限花の実が光を灯した。
 盆上からあふれ出した光は細く細く絡まりながら、一筋の光線を結び、砂丘の頂を、否、煌めく盆上の無限花を囲むように、ついついと縦に長い四角形の軌跡を描いた。その軌跡に沿って、桃色のホログラムがまるで扉のように空間をやぶる。虚空の裂け目から、発光する桃色がこぼれ出した。嗚呼、この先にぼくの可能性がある、ぼくがもどるのを待っている世界がある、痛みも悲しみも苦しみをも伴う生があり、大好きな太陽と花と虫と、あなたがいる。

 一切の迷いはなかった、ホログラムのゲートにぼくはそっと足を踏み入れる。光あれ!すると光があった。

素晴らしい研究員の皆様に感謝を込めて!
2022.06.06 ジルコーニャ